アールでも..
「アールヌーボー」と「アールデコ」の違いって何?
「アールヌーボー」と「アールデコ」はどう違うの?
19世紀末ごろから1940年ごろまでに流行した芸術様式である、アールデコとアールヌーボーですが、具体的にはどのような点が異なるのでhそうか?
アールヌーボー
アールデコ
アールヌーボーとは?
アールヌーボーとは、ヨーロッパを中心に広まったイギリス発祥の新芸術運動です。Art (芸術)+Nouveau(新しい)で、「新しい芸術」という意味を持ちます。
アールヌーボーの歴史的背景
19世紀初頭の産業革命により、安価で粗悪な大量生産品が出回ったため、その反動により芸術性や独自性が高いモノを人々は求めるようになりました。
そこ結果、芸術品や実用品に従来の様式にとらわれない装飾性をほどこしたり、鉄やガラスなど当時の新素材を利用して「新しい芸術」を生み出そうとしたアールヌーボーが誕生しました。
アールヌーボーは、建築、工芸品、グラフィックデザインなど多岐分野にわたります。
アールヌーボーの建築
現オルタ美術館はベルギーの建築家、ヴィクトール・オルタの自宅として使われていました。世界遺産にも登録されています。
世界初のアールヌーボー建築、ベルギー、ブリュッセルのタッセル邸階段。ヴィクトール・オルタ建築です。こちらも世界遺産に登録されています。
パリのカステル・ベランジェ。タッセル邸にインスピレーションを受けて作られたアパート。パリ初のアールヌーボー建築です。
スペイン、バルセロナのサグラダファミリア。広義でアールヌーボー様式に属しています。
アールヌーボーの画家と模様
アルフォンス・ミュシャのリトグラフ『ジスモンダ』。当時フランスで活躍していた女優サラ・ベルナールをモデルとして制作された、舞台公演用の公告ポスター。
クリムトの『接吻』。クリムトはアールヌーボーの流れを受け、オーストリアでウィーン分離派を立ち上げます。
アールヌーボー期の工芸
エミール・ガレの花瓶。フランスのディジョン美術館所蔵。日本の影響を多分に受けています。
ルネ・ラリックの最高傑作「トンボの精」。サラ・ベルナールが着用していたブローチです。ルネ・ラリックはアールデコ期にも活躍。
アールヌーボーのガラスランプ
1889年と1890年のパリ万博でグランプリを受賞した経歴を持つエミール・ガレが製作した、数々の斬新なランプは、アールヌーボー芸術の代表とも言えます。
植物や昆虫、キノコのような自然をベースとして作られた彼の作品には、彼自身の「自然の中にこそ、美は存在する」という美意識が映し出されています。
ランプに限らず、この当時のガラス作品は曲線がとても美しい点が印象的です。
アールヌーボーの家具
歴史的背景の部分で述べた通り、アールヌーボーのデザインは機械から一歩距離を置いた、職人技が光るものでした。
特にアールヌーボーが影響を受けていたのは、重厚で華麗なゴシックスタイル、曲線が多く優雅なロココスタイル、エレガントなバロックスタイルです。
これらが混ざりアールヌーボーのインテリアが生まれました。
アールヌーボーの食器
当時の食器もアールヌーボーの影響を受け、アシンメトリーで曲線的なものが多いです。また、デザインの中に若い女性が描かれているのも特徴的です。
アールヌーボーと日本
当時の芸術家たちは、日本の浮世絵から大きな影響を受け、それを彼らの作品に反映させていたと言われています。
さらに、当時アールヌーボーに触発され、橋本五葉や藤島武二ら日本の芸術家たちも創作活動をおこなっていました。
アールヌーボーの人気ホテル
ちなみに韓国の南ソウルに位置する江南には、アールヌーボーのデザインが基調とされた「アールヌーボーシティー 江南」というホテルがあります。
アールデコとは?
装飾性が高いゆえ大量生産に向かないアールヌーボーは、第一世界大戦の勃発とともに衰退します。アールヌーボーに代わり、広まったのがアールデコArt (芸術)+Déco(装飾)。
アールデコは、第一世界大戦と第二次世界大戦の間に流行したので「大戦間様式」。または、世界へ広まるきっかけとなった1925年のパリ万博(現代産業装飾芸術国際博覧会)から「1925年様式」とも呼ばれています。
アールデコという名称は、パリ万博「L’Exposition international des arts decoratifset industrielsmodernes」の略から来ています。直線的で合理的なデザイン、原色の対比などがを徴とします。
アールデコの時代は、大衆が大量生産の商品を求め始めた時代。芸術やデザインは一部の特権階級のものから、大衆のものへと移行していきます。戦前の価値感は大きく変化し、機能的でシンプルなデザインが求められた時代です。
パリ発のアールデコは、アメリカで花開きます。第一次世界大戦の戦勝国アメリカは、芸術・文化の面でも世界の中心に。そんな、狂騒の時代とも呼ばれたアールデコも、1929年の大恐慌のころから衰退し始め、第二次世界大戦の勃発により終了します。
アールデコ期の建築
アールデコ期の代表的な建築は、ニューヨーク・マンハッタンの建築群です。アールデコ期にはマンハッタンで高層建築ラッシュが起こりました。
ニューヨークのクライスラービル。建築当時は世界一の高さに。
エンパイア・ステート・ビルディング。映画「キング・コング」でキング・コングがよじのぼったビルとしておなじみ。クライスラービルから「世界一の高さのビル」の称号を奪うべく建築されました。クライスラービルとエンパイア・ステート・ビルディングで、アールデコ期の建築はピークを迎えます。
アールデコ期の工芸
ラッキー・ストライクのパッケージデザインをしたのはレイモンド・ローウィ。インダストリアルデザインの草分け的存在です。
パリ出身のレイモンド・ローウィはアメリカで活動。ペンシルバニア鉄道電気機関車の工業デザインも手掛けています。
アールデコのドレス
アールデコのデザインが施されたドレスの特徴は3点あります。
- ウエストを絞らない筒型
- 腰の位置はやや低め
- 丈は膝丈
それまでは長く、ウエストが絞られたふくよかな女性がローモデルとされてきましたが、この頃からすらっとした女性が好まれるようになりました。
アールデコの家具、インテリア
東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)の本館1階。中央に見えるのは、フランスのアンリ・ラパンのデザインによる『香水塔』です。
アールデコと日本
アールヌーボーやアールデコに影響を与えたとされるジャポニズム。日本の影響を受けて繁栄したアールデコが、逆に日本にも影響を与えることに。
明治村に移築された旧帝国ホテルの中央玄関。フランク・ロイド・ライト設計。高い技術を必要とし、費用もかさむアールヌーボー建築と違い、日本ではアールデコ様式の建築物がいくつか作られています。